拝啓 10年前の自分へ
おめでとう、君は確かこの前の定期演奏会で部活を引退したはずだ。これからは10月にやる学祭で、部活とは違う最後の花火を打ち上げてから、受験勉強に本腰をいれようとしているのではないだろうか。
その結果どうなったかは、まぁここで言っても仕方ないだろう。とりあえず君がこの定期演奏会を機に一度置いた楽器を、未だに続けられてはいる。
さて、君は今楽器以外に何をしているだろうか。きっと厨二病を高度に拗らせた形で君が心服していた福○晴敏や伊藤○劃の文体チックに色々な怪文書を書いて、インターネットで知り合った仲間たちとサークル的な組織を作ってお互いに読み回しているのではないだろうか。おや図星かい、当然だろう。よく覚えているからな。
まぁ10年後の君も(人が見ることを殆ど想定していないとはいえ)こういう形で怪文書文章をしたためているのだから、10年後の8月が終わっても君はそれほど変わっていない。そこは安心(?)してほしい。
え、なんで10年後の君がこういう文章をしたためてるのかって? 今すぐZONEの「secret base~君がくれたもの~」を聞け。察しろ。
……10年色々あったが結局なんも変わっちゃいないんだなと振り返りながら、こうして夏はおわっていくのです。しかしこう見るとものすごい暴露だな
かき氷と夏
かき氷、なる食べ物がある。
一口食べるだけでも手軽に冷感が得られる反面、食べ過ぎれば身体に支障が出る(頭が痛くなったり、お腹壊したりするという意味で)あの氷菓である。
そんなかき氷だが、シロップについて、実は色素が入ったただの砂糖水とその昔聞いたことがある。
https://dailyportalz.jp/kiji/170418199366自分が暇な時に読むこのサイトにもこんな特集記事がある位だし、さもありなんとは思っているが、正直「だから何だ」ってなる。
振り返ってほしい。子供の頃、我々はかき氷をどのように食べただろうか。
真夏の中、縁側で風鈴の音色を聞きながらかき氷を食べた人もいるだろう。
クーラーをガンガンに効かせた部屋で、頭を痛くしながらかき氷を食べた人もいるだろう。
夏祭りにて、一緒に行った異性と縁日で買い、打ち上がる花火の中かき氷を食べた人もいるだろう。
―そう、かき氷を食べていたとき、我々はあらゆる意味での「夏」を感じていたのではないだろうか。即ち我々はあのシロップで彩られたかき氷を通じて「夏」を味わっていたのだ。そこにシロップ毎に味の違いがあるかなど、果たして考えていただろうか。
嗚呼、あの極彩色なシロップで彩られたかき氷。邪な観点が少しでも入ってしまった我々はもう、かつてのようにこの氷菓通じて「夏」を味わうことが出来ないのかもしれない。
しかし、恐れることは無い。我々にはまだ、ある飲み物を通じで「夏」を味わうことが出来るのだ。
さぁ、残り少ない夏を精一杯味わおうではないか。
誰かと一緒にやるということ
何かと1人ですることが多い。
父親から「旅と映画は1人に限る」と言われて育ってきたからか、旅や映画を中心に1人ですることを当然としてきた。それは単に父親の教えを忠実に守ってきたからという訳ではなく、その方が誰かに気を使ったりする必要がなくて気楽でいいやという考えからだ。そんなんで最近趣味として偶にやってる山登りも1人でやっており、長野市近辺の飯縄山なんかは初登山に関わらず1人で登った。デート案で「陣場山~高尾山縦走」を彼女に提案した時に拒否されたこともあり、今後も登山については1人でやるんだろうな、と思ってた。
その中で高校の友人から「蓼科山登ろう」と言われた。卒業してからも親しい友人だしOKして今日登った。
これはこれで、となった。「一緒に1つの目的を達成しようと努力し、これを達成すること」、このカタルシス的な感情に浸ってた自分がいた。
そして、それは今の今までやっているオケでも同じだとようやく気づく。演奏会という目標を達成しようと団員全員で努力し、達成した時に「打ち上げの酒が美味い」という言葉に集約されるカタルシス的感情があったからこそ、今の今までオケをやれたのだ、と。
性格的に1人で気兼ねなくできることも大事にしたいところだが、誰かと一緒にやった時のカタルシス的な感情もまた、大事にしていきたいところである。とりあえず今日一緒に蓼科山登ってくれた友人に心から礼を言いたい。
ボンド、ジェームズ・ボンド
007シリーズが好きだ。
政府から殺しのライセンスを与えられて世界を飛び回り、数多の美女を手篭めにしつつ、巨悪を打ち倒して任務を完遂する007ことジェームズ・ボンド。
その若干ご都合主義的なストーリー展開、オーパーツもいいところなボンドカーを始めとしたハイテクガジェット、いくらなんでも手篭めにされるのが早すぎるグラマラスで美人なボンドガールと、これほどまでに男の夢フルコースな映画はそうそうあるまい。
そして何よりも、このシリーズにおける1番の魅力は、約60年にわたって6人の俳優が007を演じた中、どの007にもそれぞれの魅力と個性があり、それが作品全体において重要な味付けとなってることだ。種々の比較において好き嫌いが別れることはあっても、どの作品も概ね楽しく味わえる。
話は変わるが、今年の11月にシリーズ新作『ノー・タイム・トゥ・ダイ』が上映される。そしてこの上映に合わせて現在BS-TBSでは毎週火曜に全シリーズを放映している。
これは実に良い。なぜなら、現在演じている6代目の俳優(ダニエル・クレイグ)がこの作品をもって007を引退すると宣言しているからだ。
つまり、この全シリーズをテレビで見た直後に最新作として6代目最後の007作品を映画館で観ることで、これまでに6人が演じてきた007を比較し、その味わいの違いを真に楽しむことが出来るのだ。こんな贅沢はそんなにない。
そんなわけで、今日は007を見ることとしよう。「007 ムーンレイカー」、楽しみで仕方ない。
ムーンレイカー(デジタルリマスター・バージョン) [DVD]
- 発売日: 2012/11/23
- メディア: DVD
自由と非合理的な行動
植木等が分かっちゃいるけど、やめられない、と歌うように、人は時折非合理的な行動を取りがちだ。
かく言う自分もそういう質で、交通費が7000円近くかかる中でオケの練習のために毎週の如く東京入りしてたこともあったり、次の日仕事なのにも関わらず、二日酔いになるくらいまで酒を飲んだりと非合理的な行動の方がとってるんじゃないかと思えてくる。
それでも非合理的な行動を人間はなぜとるのか。それは非合理的な行動に自由を見出してるから、と個人的には考えてる。
人は社会生活を営む中で合理的な行動を求められがちだ。合理的な行動をせずに非合理的な行動をとれば、自分自身が経済的な損失を食らったり、誰かから怒られたり下手すれば社会的に〇されかねない。
しかし社会から合理的な行動を求められれば求められる程、そこに個人の自由を挟む余地は減っていくし、逆に敢えて非合理的な行動を取るのであれば個人の持つ自由を行使しなければできないだろう。
歴史を見ればわかるように、人間は自由を求める生き物だ。だからこそ個人の自由を行使しなければできない「非合理的な行動」をとりがちなのではないだろうか。
なればこそ、自由をこよなく愛する自分はこれからささやかな「非合理的な行動」をしようと思う。乾杯。
エアコンについて思う
このエリアに引越ししてはや3ヶ月過ぎた。
真夏であろうと夜になれば涼しいのがこのエリアあるあるだが、ココ最近の夏っぷりはなかなかにイカレてて、冷水シャワーをキメなきゃ夜過ごすのも中々にきつい。
幸い前の家主がエアコンを置いてってくれた。室内機と室外機を外した状態で。
仕方ないから何とかDIY精神で自分で取り付けてやろうとしたら真空引きだの冷媒ガスなど素人では絶対に無理な諸々が必要と来た。これだともうプロに頼むしかない。
幸い馴染みの酒場でプロを斡旋してもらったが、それでもプロに頼むと1万円以上。くそー……
エアコンと言えば職場の一部エアコンがぶっ壊れたらしく、壊れたのがお盆ということもあり修理に時間がかかるらしいのだが、おかげでエアコンが効きまくるところと全く効かないところが職場に発生てしまった。職場の建物をアチコチ回る必要がある職務上、エアコンが効く所と効かないところを何度も回る羽目になってなかなか辛い。
コロナになる前に冷房病になるんじゃないか。マジで。
どうでもいいけどネットでプチバズってたカラムーチョに人参搦めた料理を作ったら中々に美味い。もう普段の主食これでいいんじゃないかな